協定調印

2018年2月11日、岩手県九戸郡野田村生涯学習センターにて、野田村と「大阪大学オムニサイト」協定の調印式を行いました。

 東日本大震災から6年と11ヶ月になる2018年2月11日、津波によって大きな被害を受けた岩手県九戸郡野田村と協定を締結しました。自治体との協定は初めてです(OOS第4号)。

復興途上にある野田村には、教員や大学院生・学部生が震災直後から継続的に関わってきましたが、この協定により、復興支援だけでなく、これからのむらづくりにおいて、人間科学研究科・人間科学部として公式に、そして、永続的に野田村との友好的な協力関係を継続発展させていきます。当面は、野田村と協議しながら、私たちが研究科で行ってきた様々な研究の成果を提供したり、多様な分野で活躍する教員を派遣したりしていきます。また、これまで野田村で毎夏実施してきたフィールドワーク実習等の授業を継続して開講し、大学院生は岩手県野田村で研究活動をさらに展開していきます。

 

野田村との関係

岩手県北部に位置する人口5000人弱の野田村は、2011年3月11日に発生した東日本大震災・津波により、28名の村民を喪いました。村の主要部が流出し、全壊家屋300棟以上、半壊家屋150棟以上に及び、被災者は5年間にわたる仮設住宅等での生活を余儀なくされ、ようやく高台移転を含む住宅復興へとたどり着いたところです。

野田村では、震災直後から、渥美公秀教授が認定NPO法人日本災害救援ボランティアネットワークを介して救援活動や現場研究を展開してきました。2011年度には、渥美公秀教授、志水宏吉教授、稲場圭信教授による東日本大震災実践研究プロジェクトが立ち上がり、人間科学研究科による支援を受けて、野田村、宮城県南三陸町、宮城県気仙沼市で実践・研究・教育を展開し、多くの院生・学部生が参加しました。2012年度には、志水宏吉教授が代表を務めるリーディング大学院未来共生イノベーター博士課程プログラム(以下、未来共生プログラム)が始まり、それまでの人間科学研究科と野田村との関係を基盤として、野田村に「大阪大学野田村サテライト」が開設され、教育プログラムとして「東北フィールドワーク(コミュニティラーニング)」が毎夏にサテライトにて実施されてきました。また、2012年度末からは、毎月、震災の月命日に当たる11日に「大阪大学野田村サテライトセミナー」(担当:渥美公秀教授・未来共生プログラムの石塚裕子特任助教)が開催されてきました。サテライトセミナーでは、人間科学研究科教員による講演はもちろんのこと、国内外の災害研究者や実践に携わる人々が講師を務め、2016年度からは、野田村民による企画セミナーも9回にわたって開催されてきました。未来共創センターができてからは、センターも共催という形で参加し、人間科学研究科との関係もますます深まっていきました。こうした様子は、毎回、人間科学研究科に遠隔教育システムを通じて配信されました。5年間にわたるサテライトセミナーを通じて、人間科学研究科と野田村との関係はますます深まり、将来に向けて良好な関係を維持する機運が高まっていきました。そこで、2018年度をもって未来共生プログラムが終了し人間科学研究科に移管されるに際し、人間科学研究科と野田村との間で関係を拡充していくための協議が行われました。その結果、野田村と人間科学研究科が相互に利益を生じる形で、将来にわたって連携していく方針が決定され、この度OOS協定の締結へと結実しました。

協定書調印式あいさつ(栗本英世)2018年2月11日

 ご紹介いただきました、大阪大学大学院人間科学研究科長、人間科学部長、およびリーディング大学院未来共生イノベーター博士課程プログラム責任者の栗本英世です。ひとこと、ごあいさつ申し上げます。

 本日は、野田村村長小田祐士様、副村長高橋正志様、そして村議会議長貮又正人様のご臨席を賜り、たいへんありがとうございます。また、調印式の準備をしてくださった、野田村役場特定課題対策課長の明内和重様にも感謝申し上げます。

 あと一か月で、東日本大震災から丸7年になります。あの未曾有の大災害がなかったら、私たちはここでこうしてご一緒することはなかったでしょう。この事実をまず確認しておきたいと思います。大震災では、野田村の皆さんは甚大な被害を受けました。37名の方々がお亡くなりになり、500棟以上の家屋が損壊し、生活を支えていた二つの漁港は壊滅し、多くの公共施設も被災しました。そのたいへんな時期に、大阪大学の教員や学生による救援活動を受け入れてくださったことに、まず御礼申し上げたいと思います。

 その後、救援活動は、チーム北リアスの結成につながり、大阪大学の未来共生プログラムは、大震災から丸2年をへた2013年3月、村内にサテライトを建設しました。このサテライトを拠点にして、今日で第60回を迎えるセミナーの開催、のだむラジヲの放送、学生の調査実習など、さまざまな活動を実施してきました。私たちは、その過程で多くのことを学ばせていただきました。とりわけ、村の皆さんが、悲しみを乗り越え、復興に取り組む姿をつぶさに見聞できたことは、たんに「学ぶ」以上の経験だったと思います。

 すこし、私自身の調査研究の話しをさせてください。私の専門は社会人類学およびアフリカ研究です。とりわけ、南スーダンの人びととは過去40年ちかくにわたって付き合いを続けてきました。ご存じのように、南スーダンは長期にわたる内戦を経験し、数百万の人びとが犠牲になりました。内戦は2005年に終結し、国連と日本を含む先進諸国の援助のもと、戦後復興と平和構築の時期に入りました。南スーダンは2011年に悲願だった独立をとげましたが、2014年12月以降は、新たに武力紛争が勃発し、現在に至るまで内戦状態にあります。人びとはふたたび、死ぬか生きるか、難民になって生き延びるかという苦境に置かれています。

 戦争は人災であり、地震や津波は天災です。長期にわたって続く戦争に比べると、天災の一撃は一瞬です。しかし、両者に対する救援活動や復興支援には、おおくの共通点があると思います。私は、人災と天災のちがいにかかわらず、大規模な災害に対して外部から支援しようとする者は、現地を深く理解しようとする姿勢と、長期間にわたってかかわる覚悟が必要であると考えています。これは、南スーダンで学んだ教訓でもあります。

 先ほど、「悲しみを乗り越える」と申しました。しかし、愛する人たちを失い、かけがえのない故郷が破壊された、あるいは故郷から追われた悲しみは、そもそも乗り越えられるものではないでしょう。人びとは、ときには悲しみを忘却し、ときにはなんとか折り合いをつけて、生き続けようとします。「悲しみを乗り越える」などと、簡単に言うべきではありません。また、「復興」といいますが、いったん破壊されたものは、有形無形であれ、もとのままに戻ることはありません。その意味で、復興とは、ゼロから新たなものを創造していくことだと考えたほうがよいでしょう。これらのことも、人災と天災に共通すると思います。

 大阪大学の私たちは、7年間にわたって、野田村の皆さんに寄り添おうと努めてきました。そのなかで、皆さんの経験を共有できた、皆さんの思いに共感できたと思えた瞬間は、たくさんあったはずです。こうした瞬間は、教員にとっても学生にとっても、とても貴重なものです。私は、野田村の皆さんにも、私たちとなにかを共有し、共感した瞬間がきっとあったはずだと思います。もしそうなら、とても嬉しいことです。そして、私たちの活動が、復興の大事業のなかで、すこしでもお役に立ったことがあったのなら、望外の喜びとするところです。

 先ほど、渥美公秀先生は、今回の協定を7年間のお付き合いをへた婚約にたとえました。男女の付き合いでは、恋愛と婚約の時期のほうが、結婚してからよりも幸福だったということが、ときには生じます。私たちの関係も、こうした轍を踏むことがあるのでしょうか。今回の協定は、大阪大学の私たちにとっては、今後も長期にわたるかかわりを続け、村の皆さんに寄り添っていくという、決意表明であると考えています。この決意が揺らがないかぎり、大阪大学と野田村の関係は、今後ますます発展していくことと信じています。

 今後ともどうかよろしくお願いいたします。以上で、ごあいさつにかえさせていださきます。ありがとうございました。

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OOS協定締結記念コンポジウム

 同日、調印式を承けて、記念コンポジウムが開催されました。野田村からは、小田祐士村長、チーム北リアス現地事務所長貫牛利一氏にご登壇頂き、人間科学研究科からは、栗本英世研究科長、中道正之共創センター長、志水宏吉未来共生代表、川端亮教授、稲場圭信教授、モハーチ・ゲルゲイ助教が参加し、渥美公秀教授のコーディネートで2部構成のパネルディスカッションを行いました。

第1部は、「津波から今日までの関係」として、野田村と大阪大学とのこれまでの関係を振り返りました。小田村長からは、「大阪大学の人たちが野田村にいること(大阪弁が聞こえること)に違和感を抱くことがなくなっている。また来てるなぁと感じられるほどいつも寄り添っていた。」と評価を頂きました。貫牛氏からも、村に阪大生が普通にいて、様々な関係を築いていることを評価してもらいました。人間科学研究科の教員達も口々に野田村で学ばせて頂いたことがいかに大きいか振り返りました。

第2部に入る前に、千葉泉教授によるミニコンサートが開かれました。こうして議論の途中に音楽で和やかな雰囲気になるのがコンポジウム(コンサート+シンポジウム)です。今回は、千葉教授が震災に想いを馳せて作曲された「それでも桜は咲く」を会場の参加者と一緒に歌いました。ギター(千葉教授、渥美教授)、ウクレレ(稲場教授)、ピアノ(モハーチ助教)、打楽器(学部生沈さん)という顔ぶれでした。

第2部では、「これからの関係~協定にもとめるもの」と題して、OOS協定の締結をもとに、お互いに何を期待するかという議論を展開しました。「野田村全体をキャンパスに」(小田村長)、「野田村からも様々な人たちが大阪大学を訪問する」(貫牛氏)、「人間科学研究科の全員が野田村を知っているわけではないし、野田村の皆さん全員が人間科学研究科をご存知なわけではないから、今後は広報に努めて、多様な交流を研究科としても推進していく」(川端教授)など野田村との関係をさらに深めていこうと力強い発言が続きました。

最後に、コーディネータの渥美教授より、「仲良く過ごしてきた野田村と人間科学研究科が改めて協定を締結したということは、いわば恋人同士だった二人が婚約したようなもの。これからは婚約した二人と見られる。さらに仲良く過ごしていって結婚。そして、あの津波の状況を直接知らない世代になっても、野田村と人間科学研究科とが末永く一緒に歩んでいきたい」と締めくくりました。

 

SDGsカテゴリー
  • 4質の高い教育をみんなに
  • 11 住み続けられるまちづくりを
  • 14海の豊かさを守ろう
  • 15陸の豊かさも守ろう
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