REPORT【記憶の継承ラボ】「出来事の記録と生の記憶 クロード・ランズマン『SHOAH』をみる」開催報告

2024/02/08(Fri) - 08:00

文責:中谷碩岐(共生の人間学M1)

2024年2月4日(日)、大阪大学吹田キャンパス人間科学部棟(+Zoom)にてシンポジウム「出来事の記録と生の記憶 クロード・ランズマン『SHOAH』をみる」が開催されました。

『SHOAH』(1985)は、フランスの映画監督クロード・ランズマン(1925 - 2018)によって製作された、ナチス・ドイツによるユダヤ人の集団虐殺「ショア」を題材とする、9時間半超の映画作品です。本シンポジウムは、哲学・表象文化論・写真実践・質的心理学といった多様な分野の研究者が理論と実践の両面から『SHOAH』を検討し、相互に意見交換を行うことを通じて、今日この映画が持つ理論的・実践的意義を取り出すことを目的に開催されたものです。なお、本シンポジウムは大阪大学人間科学研究科共生の人間学研究室が主催し、大阪大学大学院人間科学研究科附属未来共創センター・IMPACTオープンプロジェクト 「記憶の継承を祈念するグローバル・ダイアログ」(記憶の継承ラボ)の共催イベントとして実施されました。

共催頂いた記憶の継承ラボの三好恵真子先生のご助力もあり、当日は50名を超える多くの方に参加いただくことが出来ました。当日は共生の人間学研究室の院生である中谷碩岐、瀧口隆のほか、記憶の継承ラボのメンバーでもある吉成哲平さん(環境行動学博士後期課程)、そして学外から宮前良平先生(福山市立大学都市経営学部講師)を登壇者としてお招きし、それぞれの関心から『SHOAH』に関する研究発表を行った後、フロアを交えてディスカッションを行いました。以下、イベントの様子を報告します。

前半部では、哲学や表象文化論を専門とする二人の登壇者が、今日なお参照すべき理論枠組みを『SHOAH』の中から取り出すことを目指して発表を行いました。

中谷発表「表象不可能性と記録の命法:ランズマン『SHOAH』における証言のアポリアとその超克」は、しばしば『SHOAH』の特徴として強調される「表象不可能性」の主題について、とりわけ今日のイスラエル/パレスチナ問題との関係から批判的に再考することを試みたものでした。中谷は、こうした表象不可能性のみを強調するのではなく、その先の表象をこそ今日論じる必要があるのではないかと述べ、『SHOAH』の中に存在する「記録の命法」というもうひとつの主題の検討を通じて、その議論の可能性を提示しました。

瀧口発表「証言の映画『SHOAH』における作為artifice」では、映画作品としての『SHOAH』に焦点が当てられ、この映画が持つ「表象の制度」への批判という側面を取りあげられました。映画製作の際に除外されたアウトテイクに関する先行研究や哲学者ジル・ドゥルーズの思想を補助線としつつ、瀧口は『SHOAH』が「証言者」を創造することを目指した映画であると主張し、この映画に端を発して映画作品の製作における、あるいは鑑賞における「来るべき民衆」の創設について思考する必要性を論じました。

後半部では、写真という媒体を通じた具体的なフィールド実践の中で「記憶」と「記録」の問題に継続的に取り組んでこられた二人の登壇者に『SHOAH』が提示する問題系をそれぞれのフィールドにおける実践へと接続する発表を行って頂きました。

吉成発表「「写真もまた生きている」 -東松照明が生活の現場から証した長崎の被爆者の生と死の意味を受け止めて-」は、写真家の東松照明が長崎や沖縄の戦後の姿を追い続けた様を取り上げ、発表者が提唱してきた独自の方法論である「写真実践」と共に紹介しました。具体的な写真の紹介と共に、被爆やホロコーストのような悲惨な出来事の体験者にとってはそれが単に歴史的なものではないことが強調され、映画や写真のような記録の背景にある(共同体の/被写体の/撮影者の)重層的な記憶を辿り直す必要性が論じられました。

宮前発表「物語に抵抗する 〈不在〉の想起論に向けて」は、『SHOAH』の「物語への抵抗」という特徴に注目するものでした。この発表では、こうした「物語とは異なる過去の記録」として「想起」が取りあげられ、福島県・双葉町におけるフィールド実践を紹介しながら、被災地における「あるべきものがない」という「〈不在〉」の経験が引き起こす、被災者の身体性に紐づけられた「想起」による記録の理論と実践が論じられました。

総合討論では『SHOAH』が提起した表象不可能性の議論を出発点にしつつ、それぞれが扱ったホロコースト、沖縄戦、長崎の原爆投下、東日本大震災といった出来事の差異がそれを記録する方法論に与えている影響、その出来事の記憶を持たない非当事者がとり得る立ち位置、記憶に関する学問と芸術の差異、など極めて多岐にわたる論点について、フロアの方々や司会の近藤和敬先生を交えて活発に議論が交わされました。いずれの発表に対して提起された質問も大変密度の濃いもので、有意義な議論が出来たように思います。

今回のシンポジウムを通じて、『SHOAH』という映画が、今日なお理論的にも、実践的にも重要な示唆を与えてくれる作品であることを再確認できました。ともすれば実践の現場から足が遠のいてしまいがちな一哲学研究者としては、今後も今回のような場を設け、活発な議論を交わす機会を持つことが出来ればと考えています。登壇頂いた吉成さん、宮前先生、ありがとうございました。

また、シンポジウムの開催にあたっては、当日お手伝いを頂いた環境行動学研究室のみなさまを始めとして、多くの方のご助力を頂きました。ひとりひとりの名前を挙げることは叶いませんが、この場をお借りして感謝の言葉を述べさせて頂きます。

本当にありがとうございました。




① 当日の会場の様子

② シンポジウムポスター